作家紹介

作家写真
  • 高島芳幸
  • Takashima Yoshiyuki
  • 私たちは 多くの座標軸が行き交う世界に生きている
    表現の先に 一つの世界の所有をみようとするならば
    まず 見ること
    つまり 世界の在り様や佇まいに 直に眼で触れていくしかない
    大切なことは 時折 重心を外すことである
    見ることは
    世界を 日々新たに捉え直していくことに他ならないが
    その行為の痕跡も 記録/表現として
    日常をも含めた世界の「今」を 堆積させていく
    眼もまた世界によって刷新され 所有されていくのだ
    重心を外すのだ
  • 展示作品について
    旧上西小学校は、その前身1875年(明治8年)の内場小学校の開設に始まり、1901年(明治34年)香山尋常小学校、1941年(昭和16年)の東山国民学校、西山国民学校、香山国民学校と改称され、1971年(昭和46年)に香山・東山・西山の3教場を総合され上西小学校が発足します。
    その後、2005年の市町村合併による改称があり、2015年(平成27年)の学校統合により、閉校となり4月6日、上西・塩江・安原の3小学校を統合した新「塩江小学校」に移行されました。 この131年間の時代の変遷の中で、旧上西小学校は13回の名称変更などが行われてきましたが、その中でも1945年(昭和20年)の敗戦における価値観の変化と教育制度の変革は、大きなものであったに違いないと思います。
    今回の展示で、4年生の教室を確認するために使う岩石は「ズリ」と称し、発破工事で出てきた破砕岩石のことを言います。1944年(昭和19年)、敗戦濃厚な第2次世界大戦の末期、日本は当時の軍部が中心となって、天皇・皇后、大本営、政府機関を長野県松代一帯の岩盤の強固な地下に移す計画を立てます。その年の11月11日に初めての発破工事を行い、1945年の8月までの9ヶ月に渡って、多くの朝鮮人や日本人約1万人の過酷な労働によって象山地下壕の建設が続けられました。地下壕の総距離は約10㎞になります。
    今回の作品は、上西小学校の131年間の歴史を振り返るとともに、2015年3月に去った児童たちの思い出に満ちた旧4年生の現在の教室を、象山地下壕建設工事で掘り出されたズリなどで確認しながら、現在の日本を見ていくプロジェクトです。
  • タイトル:M.D.U.S. Art Project『関係 Oct.2016 in 旧上西小学校/あるいは 旧上西小学校4年生の教室を象山地下壕のズリとゴム糸で確認する』
    展示場所:旧高松市立上西小学校

M.D.U.S. Art Project『関係 Oct.2016 in 旧上西小学校/あるいは 旧上西小学校4年生の教室を象山地下壕のズリとゴム糸で確認する』

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